こんにちは、石橋です。
いよいよ今日は、衆議院議員選挙の投票日です。大阪も雪が降っているくらいなので、雪国の投票はさぞや大変なことでしょう。事故なく無事に投票が進むことを願っています。

今回ほど注目度の高い総選挙は中々ないのではないかと思うほど、選挙が盛り上がっていますね。
「高市フィーバー」とも呼べる高市総理の人気ぶりが際立っていて、自民と維新の与党が圧勝するのはほぼ既定路線でしょう。日本の行く末を考えると、それが望ましいと思います。
選挙自体はとても盛り上がっているのですが、争点の部分では消費税の減税や物価対策などばかりが目立っていて、環境やエネルギーに関する政策がほとんど争点となっていないように見えます。これも重要な政策で、党によっては明確な政策やビジョンを打ち出していることなんですが、そこに注目が集まっているようには思えませんよね。
党によっては方向性やビジョンを打ち出してはいるものの、いつまでに何をどうするのかといった政策にまで落とし込めていないところもあります。選挙前に急に合流してできた急ごしらえの新党だけに仕方ないのかもしれませんが。
政策や公約として環境やエネルギーの問題を掲げている党について、全体的な構図を見ると、左派の野党は積極的で、与党は現実路線、右派の野党はあまり積極的でないか、懐疑的なスタンスです。まぁ、おおむね予想通りといったところでしょうか。
左派の野党は政権を担う可能性がないため、大胆な政策を掲げていますが、どうせやることはないというレベルの内容です。与党は政権を担うことを前提にしているので、原発政策や再生可能エネルギー、脱炭素などの政策は現実路線です。具体的な数値目標を掲げていますし、絵空事のような内容でもないので本当にやろうとしていることが分かります。そして右派は、「環境問題はデマ」という論調のところもあって、アメリカのトランプ大統領のような論陣を張っています。確かに環境問題を新たな金儲けにしている勢力があることは事実ですが、完全なデマとして言い切ってしまうのは共感できませんね。そうなると、結局は与党の現実路線がその間を行っているだけに妥当な線と言えます。おそらく選挙の結果は与党の勝利でしょうから、現実路線が実際の政策として打ち出されていくことでしょう。
そのこと自体に問題はないのですが、私が問題だと思っているのは環境やエネルギーの問題が争点化していない点です。環境問題は長い目で見ると私たちの存亡に関わることですし、エネルギーはもっと喫緊の身近な問題です。減税によってガソリン代が安くなった、ということはありましたが、これはエネルギー問題ではなく税制の問題です。資源のない国である日本が今後も繫栄し続けるには、エネルギーの安定供給が不可欠です。放っておいても誰かが持ってきてくれるわけではなく、むしろボーっとしていると誰かに取られてしまう世界です。そこに対して関心が高まってこないのは、残念な思いです。
環境やエネルギーの問題が争点化していないことを象徴しているのが、某政党の合流でしょう。左派政党とかつての与党が合流する際に、全く政策が異なる両党の政策をすり合わせる必要がありました。方や脱原発、原発ゼロを強く掲げてきた政党と、原発については現実路線の政党。合流するのにあたって左派の政党が政策を丸呑みして、原発を容認することとしました。こんなに簡単に看板政策って変えられるんですね。そんなに軽い政策だったということでしょうか。野党なので「どうせ政策に反映することはない」としてできもしない理想を掲げていただけだということを白状したようなものです。それだけ関心が薄い政策だと認識しているのでしょう。
私は環境ビジネスを手がけている立場ですが、環境やエネルギーについての考え方は現実路線です。日本の経済成長のためには再生可能エネルギーだけでなく原子力など電源を多様化する必要がありますし、国際競争力を高めるためにも原子力による安価な電力を確保することはとても重要です。
その一方で、太陽光発電など日本でも得られるエネルギーを積極的に活用して、エネルギー資源の海外依存度を下げていくことも有益です。事実、環境やエネルギーがビジネスとして成立する時代になったことで、日本国内でのエネルギー自給が進んでいます。この動きは今後も無理のない現実的なスピードで進めていくべきでしょう。
このように環境やエネルギーの問題は不安を煽るだけではなく、夢がある領域であることも政治的に訴えていけばいいのにな、と思います。日本は環境技術で世界をリードする立場なのですから、成長産業として育てていくと日本の経済成長に大きく寄与します。与党が掲げている政策には私が唱えているような内容が盛り込まれているので、やはりこのあたりが現実路線で、しかも目指すべき未来なんだと思います。争点にはなりにくいですが、今回の選挙で決して悪い方向には行かないところが、せめてもの救いでしょうか。