今年もお盆休みが終わり、いよいよ残暑のシーズンとなりました。
例年のようにテレビや新聞などでは各地の大渋滞を報じるニュースが相次ぎました。例年であれば30km?40kmという程度の渋滞が発生し、上空ヘリからの映像では高速道路にズラーッとつながる車の列が季節の風物詩のようになっています。
さて、これは多くの方が私と同じことに気づいたのではないでしょうか。
それは大渋滞を報じるニュースの多さと、その距離の長さです。
70kmという渋滞が発生した場所もありましたし、これまでだと聞いたことがないような場所で発生した渋滞もありました。
どうやら今年は、例年よりお盆休みに人の移動が多かったようです。
その理由は何だろうと思っていたのですが、やはり深く関わっているのが東日本大震災だそうです。あの惨状を映像で見た人の多くは、家族や身内の人のことを少なくとも一度は考えたのではないかと思います。
もちろん、私もそうです。
特に大切な人が遠くに住んでいる方の場合はなおさらで、顔を見たくなる人が多くなったとしても不思議ではありません。
今年の大渋滞には、こんな理由があったのです。
「便りが無いのが良き便り」という言葉があります。
何事もなければ連絡をしてくることもないわけで、要するに連絡がないということは、そのまま無病息災でうまくやっていることを表れだ、という意味です。
これはある意味、日本人の国民性を表していると言えます。
日本人というのは照れ屋が多いので、大切な人に面と向かって大切だと言うのが苦手です。それは恋人同士であっても、家族や身内などについても同じです。
特に災害などがない平時だと、それはなおさらです。
しかし、そんな国民性を持つ日本人の私たちが、今回の大震災を目の当たりにして何かを感じたのです。
かつて、日本社会というのは家族という単位で構成されていました。
家族の集合体が村や集落で、そのさらに大きなものが都市でした。
社会の最小単位が家族だったわけですが、昨今はその家族もさらに分割して個人というレベルにまで細分化が進んでいます。
それによって起きた問題は、数え切れません。児童虐待や家庭内暴力など、家庭内で起きている問題の多くは、こうした家族という最も小さな社会の崩壊に原因があると思っています。
しかし、同時に日本人というのは大きな災害などを通じて、自分たちを強くしてきた歴史を持っています。
今回の大震災でもそうした日本人の特性はいかんなく発揮されていますが、そのひとつが、今回の大渋滞に見られる原点回帰ではないでしょうか。
多くの人が家族を案じ、顔を見たくなった、見せたくなったと考えるようになったのは、かつて日本人が持っていた美徳が復活したからではないでしょうか。
大震災によって多くの人命や財産が失われました。
まだまだ復興という言葉を使うのがはばかれるほどの状況が続いていますが、それと同時に得たものもあるはずです。
これだけ多くの犠牲をはらって、多くの人が家族の大切さを再認識できたのであれば、これを大事にしていって素晴らしい社会を作っていく布石にするべきだと感じました。
あらゆるものの先陣を切って、多くの人の心では復興が始まっているのかも知れません。