1月15日は、今では成人の日ですが、古くは小正月として知られていました。
最近は小正月というよりは、成人の日として国民の祝日になっています。
今年の新成人は、126万人で、内訳は男性が65万人、女性が61万人とのこと。発表された統計によると、少子化と言われながらも前年より少し増えました。
これはこれで嬉しいのですが、この小正月が過ぎると1月17日。
平成27年の今でも、20年前の、この日を忘れることはできません。
平成23年3月11日に発生した東日本大震災のインパクトは強烈ですが、平成7年1月17日、6434人の犠牲者がでた阪神淡路大震災は、20年という節目にマスコミなどで大きく取り上げられています。
法律によれば、平成27年に成人になる人は、平成6年4月2日生まれから平成7年4月1日生まれですから、成人式を祝ってもらう人は、まさに阪神淡路大震災の年に生まれた若人たちといえます。
126万人の新成人には大震災の実感がある由もありませんが、あれからもう20年という月日が流れたのかと思うと、時の無常すら感じます。
時の流れ、移り変わりが早いと感じる人は多いのではないでしょうか。十年一昔という言葉がありますが、昨今では一年一昔のように目まぐるしく世界が動いています。
ひとつには急激なITの進歩のため、あまりにも情報の多様化が進み、その結果、目には見えない大きな歪が時間感覚になんらかの影響を及ぼしているのでは?とも考えられます。
宇宙時間である絶対時間が速くなったわけではないのですが、それにしても1日、1年という時間が過ぎるのを速いと感じている人は多いのではないでしょうか。
閑話休題。話題を変えて、この20年間の太陽光発電関連に目を向けますと、20年前は太陽光発電の黎明期だと言えるでしょう。太陽光発電そのものはすでに実用化の段階にありましたが、本格的な普及啓蒙と言う点では平成7年は太陽光発電が本格化する以前の時代でした。
ちなみに、20年前には携帯電話も無ければ、スマホやタブレットなどは想像すらできませんでした。
ですから、阪神淡路大震災からの復興構想には新しい建物に太陽光発電を、という発想はありませんでした。
タラ、レバという発想を過去の出来事に使うのは意味がないことは当然です。
しかし、しかしです。もし、20年前に今の太陽光発電があれば、復興された神戸の街の眺めは変わっていたのではないでしょうか。
新しく生まれ変わった神戸市内の建物には太陽光パネルが多用されていたでしょう。
と、思いたいのですが、4年前に起きた東日本大震災の復興があまり進んでいないことがあるにしても、東北地方の復興構想での太陽光発電の位置づけは今ひとつのようです。
福島第一原子力発電所の大事故で、一時期は太陽光発電が脚光を浴びたかに見えました。しかし、掛け声は大きかったのですが、その割には新エネルギー推進の声は小さく、太陽光発電のさらなる普及は進んでいないと言えそうです。
大きな自然災害は想定外のさらに想定外で、人知の及ぶ限りではありません。ただし、大災害が残した教訓を生かすことで、次の災害を減災することはできます。
この減災に太陽光発電が役立つことは明らかです。人が生活を営むには電気が不可欠な今の社会構造で、太陽光発電が、将来起こり得る大災害で必ず役に立つことは、間違いがないところです。