今年は残念ながら災害の多い年です。
地球温暖化が進むと、台風の発生が少なくなり、大型化するということですが、今のところ今年の台風は、発生が例年より少なく、大きなものが多いようです。
先日の台風は都市圏に直撃し、避難勧告を名古屋市内で一時100万人規模で出したり、首都圏の機能をマヒさせました。
しかし一方で、過去の教訓から学び、被害を最小限にとどめる試みが成功しました。
このたびの台風災害で、100万人超に避難命令や勧告を出した名古屋市では、2000年の東海豪雨のあとに、洪水ハザードマップを作成していました。
地域ごとに浸水の深さを色分けし、避難場所を指定、また避難行動の目安として、自宅が何階か、浸水が何メートルかによって自宅にとどまるという選択肢も示し、全戸に配布しているのです。
今回の台風では、名古屋市ではこのハザードマップの存在や、大震災からの教訓により、的確な情報をきちんと把握し、100万人超の避難勧告に際しても、大きな混乱が起きなかったのです。
また首都圏でも、夕方に直撃する情報から、多くの学校や企業で午後早くの「帰宅命令」が出され、大震災の教訓が生かされました。
それでも電車が止まるまでに帰宅できなかったたくさんの人がまた帰宅難民になってしまいました。
東日本大震災で、災害時における日本人の対応が非常に冷静で、マナーの良いことが全世界から驚かれ、賞賛されましたが、今回の台風においても、あの強風と大雨に打たれながらじっとバスの列に並ぶ人たちや、階段の隅にじっと座って電車が動くのを待つ人たちの姿が見られました。
これらの人たちの多くの心には、「大震災の被災地に比べたらこれくらい」という気持ちが備わっていたのかもしれません。
しかしこの災害時におけるマナーの良さは、いまに始まったことではないのです。
66年前、広島に原爆が落ちた時、人々は爆風と火事で裸同然で焼きだされました。
家も避難所もなく、焼きだされた人たちは大けがを治すこともなく道路で眠りました。
数日後、混乱の中、日本軍がやってきて、避難場所を作ったのでこれから避難をはじめる。
ただし、女と子どもが先だ、避難したいものはそこに並ぶように、と人々に告げます。
ひん死の人々は、誰もがとにかくそこから逃げ出したかったはずです。
しかし、そんなときでも、人々はおとなしく言われたとおりにじっと列に並び、やってくるジープを待っていたそうです。
誰一人文句をいうものはなかったのです。
それどころか、重傷者を先にと譲り合ったりという光景があちこちで行われたということです。
これは実際に、被爆者の方が見た光景です。
原爆は自然災害ではありませんが、このときの行動は、自然災害の多い国に息づくDNAのようなものかもしれません。
より弱者を思いやる気持ちを、行動として表すことのできる日本人の優しさ、しなやかさ、我慢強さは、今回の夏の節電の成功にもつながっている、と思います。
国難の日本ですが、この日本人の精神力が、復興への本当の足がかりになるものと信じています。